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守成は創業より難き

ちょうどこの2週間で『貞観政要』を読み終えた。

”創業”後の”守成”の大切さを説いた知る人ぞ知る中国古典ですが、唐王朝の2代皇帝「太宗李世民」の”貞観の治”の要諦を、太宗と彼を支えた優れた家臣たちの問答を通して、天下太平のためにトップと部下たちの組織運営の真摯な姿勢と覚悟の一端を垣間みた気がします。

これからの人生のなかで、貞観政要的な考え方・見方をもてるよう、今の自分が気になったポイントをこのブログにも記載してみます。



■私的な要約

権力の周辺には、必ず”六邪”という取りまき「阿諛追従の徒」が集まり、そのために権力者は「十思・九徳」を失い、「兼聴」ではなく「偏信」となり、「終わりを全うできない十か条」をそのまま行ってしまうという。ではどうやってそのような事態を回避するかという”守成の時代”の過ごし方を、”守成”に重きを置いた貞観政要のポイントから以下の五点にまとめてみました。

①「安きに居りて危うきを思う」

好調な時は長続きしないのが一般的。好調な時に気を引き締めるのはもちろん大切なことだけどたとえ不調に陥っても、失意泰然と構える余裕がなければ長期の展望は開けない。

いつも最悪の事態を想定して、それに対する対策を用意しておかなければ守成の責任を全うすることができないのである。  

"君は舟なり、人は水なり"
昔から国を滅ぼした君主は、いずれも安きに居りて危うきを忘れ、治に居て乱を忘れておりました。彼らが国を維持できなかった理由はこれであります。

古語に「君は舟なり人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」こんなことばがあります。陛下は畏るべきは人民の目だとおおせられましたが、まこと仰せのとおりでございますと。

②「率先垂範、我が身を正す」

”身理まりて国乱るる者を聞かず”
君主たる者はなによりもまず人民の生活の安定を心掛けなければならない。人身を搾取して贅沢な生活にふけるのは、あたかも自分の足の肉を切り取って食らうようなもので、満腹したときには体のほうがまいってしまう。天下の安泰を願うなら、まずおのれの姿勢を正す必要がある。

諫議大夫の魏徴が答えた
かつて楚の荘王が賢人の詹何を招いて政治の要諦を訪ねたところ、「まず君主おのれの姿勢を正すことだ」と答えました。楚王が重ねて具体的な方策についてたずねました。それでも詹何は「君主が姿勢を正しているのに、国が乱れたということは未だかつてありません」と答えただけでしたと。

③「臣下の諌言に耳を傾ける」

貞観二年、太宗が魏徴にたずねた。
”明君と暗君のちがいはなにか”

魏徴が答えるには、
明君の明君たるゆえんは広く臣下の進言に耳を傾けることであります。また暗君の暗君たるゆえんは、お気に入りの家臣の言葉だけしか信じないことであります。詩に「いにしえの賢者言えるあり、疑問のことあれば庶民に問う」とありますが、聖天子の堯や舜はまさしく四方の門を開け放って賢者の来るのを待ち、広く人々の意見を聞いて、それを政治に活かした。だから堯舜の治世は、恩沢があまねく万民におよび、邪悪な共行や鯀のともがらといえども、彼らの明を塞ぐことができなっかたと。  

"弓の奥義"
貞観元年のこと、太宗が太子少傅にこう語った私は若年のことから好んで弓を習い、自分ではその奥義を極めたと思っていた。ところが最近、良弓十数張を手に入れたので、それを弓作りの名人に見せたところ、「使われている材料はいずれも良いものではありません」と言いおった。
そこでわけを尋ねると「芯の歪んでいる木は、木目まで乱れているものです。そんな材料で作った弓は、どんな強弓でも矢をまっすぐ飛ばすことができません。今、見せていただい弓もそのような弓でございます」と。このことから、弓を手にしながら群雄を打ち破ってきたが、天子となって日も浅いので、長年手にしてきた弓についてさえ、奥義を極めていない、まして政治においておやと。
   
④「自己コントロールに徹する」

”高殿の造営を許さず”
夏の終わりの月は高殿に住むべしという「礼記」に従って、急ぎ、高殿をおつくりになってそちらへお移りくださいという重臣たちの再三の申し入れにも太宗は最後まで首を縦に振らなかった。昔、漢の文帝が高殿をつくろうとしたが、その費用が普通の家十軒分の資産に相当することを知って、中止にしてしまったという。私は、文帝と比べて徳の点では遠く及ばないのに、使う費用のほうは遥かに多いというのでは、人民の父母であるべき天子としては失格ではあるまいかと。

"谷那律、太宗の狩好きを諌める"
谷那律が諌議大夫に登用された。その彼が、太宗に従って狩りに出た途中、雨にあったときのこと。太宗は谷那律を振り返って尋ねた。「この着衣、どうすれば雨の浸みとおるのを防べるか」と「おそれながら、瓦でつくったものであれば、雨を防ぐことができるでしょう」と。その心は、そうしばしば狩などにお出ましになるなという意味である。太宗はこの言をたいそう嘉し、谷那律に絹五十段と金帯を賜った。
   

⑤「態度は謙虚、発言は慎重に」

”終わり克くするの美を保たん”
貞観十六年、太宗が魏徴に尋ねた。魏徴は、嗜好、喜怒の感情は、賢者も愚者も同じように持っております。しかし賢者はそれをうまく押さえて、過度に発散させることはしません。ところが愚者はそれを押さえることができず、結局は身の破滅を招くことになるのです。陛下はこのうえなく深いご聖徳をお持ちになり、泰平の世にありながら、常に危難のときに思いをいたして、身を慎んでおられます。どうか、このうえはいっそうの自戒につとめられて、有終の美を飾られんことを願い上げます。さすれば我が国は、子々孫々にわたって長く陛下のご聖徳をこうむることになりましょうと。


以上が、ざっくりした私なりの要約ですが、次は、”守成”を考えたことのない自分たちはどのような心構えで生活すればよいかということをまとめて見たいと思います。ポイントは、君道第一・第四章に掲載されている魏徴の「私が、古来からの創業の天子や帝位の継承者の英雄豪傑を統御し、天子の位について民を治めた者を観察致しますに・・・」とつづく長い文章に記載されている”統御への基本的心構え”である「十思・九徳」の二つを考えてみたいと思います。